ハンドメイド、って言うけども。
変な時間にごきげんよう、うたもです。
古物、申請に必要な書類が一通返送アリ。
おおおおお!すげぇ!本当に戻ってきた!(当たり前です)
で、布団に入りながら、「ああ、古物商、ホントに取れるんだな……取っちゃうのか……」と思ったら、今まであんなにヤルぜヤルぜぇぇ!と思ってた作る欲&売る欲がすーっと冷めていく。
「今!?ねぇなんで今冷めるかな!?」という気持ち。
私の中で古物商の取得はさ、……なんというか、結婚みたいなもんで。
行きたくない役所(ないし警察)に行くあたりや、家族に了承とったりってのも、まるでそうじゃん、と思ってた。
で、両家挨拶済ませて、式やって友人にもお披露目済んで、あとは届けを出すだけ、って時に、「この人でいいのか。ねぇいいのか!!??」みたいな。
なんなのか。マリッジブルー?と同じ心理?
て事は、さながら、開業ブルーって事?「開業ブルー」て。ゴロわろしわろす。
まぁそんな鬱々とした気持ちの時ほど、冷静に(楽観的・希望的観測をせず)物事にあたれるチャンスなので、せっかくだから考えてみた。
ハンドメイド品。ほんとに売れるのか、と。
Q1、売れるのか?
A1、売れると思ってます。もちろん何でも売れると思ってます。
Q2、売れると思う根拠は何なのか?
A2、高いと思われる物を安く売れば当然「売れる」からです。
Q3、食えるのか?
A3、難しいと思っています。 というのが私の回答。
「売れるハンドメイド作家になるには」的な書籍を見かける。書籍を出す出版サイドは本が売りたいよね。ハンドメイドは「本来は稼げない」って認識がある上で、それを覆すタイトルだから、皆食いつく=売れる、と思って出版するんだよね。
出版社も利益出ない本は出さない。よって、「サラリーマン(死語か?)で稼ぐ」って本なんか、誰も読まない。売れない。当たり前だからね。
これだって、売れる文章を書きたい!と思う人がいるから、出版されてる。「ニーズがある」という試算の上で出版されてる訳でしょ。読んだことないけど。
他にも、作家、とか、売れっ子といった文字も目にする。
作家、って響きがそこはかとなく甘くて素敵よね?
「私、作家なんです」と言った時の他人の反応の「えぇ!スゴーい!」「カッコいい!」といった羨望の眼差しを妄想させるよね。汚ぇ。
(さっきの話とつなげるなら、「作家になりたい!」って人、「結婚したい!」って人と似てる気がしてる。結婚するなら誰と?この人と!ってのが無い感じ。相手不在、自分本位な気配をバシバシ感じる。
結婚、ていうステータス。作家っていうステータス。とどのつまり冠欲しさだろ、と。
この人と結婚したい!って現実的に考えてるなら、少なくともコレコレの作家になりたい!と思うんじゃないのかな。強いて言うなら、コレコレを極めたい!極めた結果、回りがその人を作家と呼ぶ。という順序なのでは。
自称作家?それはそれでイイと思う。言ってしまって、追い込むやり方もある。冠がニンジンになって、やる気出る場合もある。なので他人が言うのは止めないけど、私はその冠を被れる立派な頭は、現状持ち合わせてない。多分、ずっとそれはそうだと思ってる。なのできっと、作家にはなれないんだろうなぁ。かぶってみたかったよ、その冠。残念。)
それた。
で、どっちにせよ。
「ハンドメイド」で「稼ぐ」のはレアケースだから、興味深い事として取り上げられてるのよね。
つまりだ。
当たり前には稼げないって事を、世の中が散々(逆説的に)言ってるだけに相違ないのよ、と私は思う訳なのです。
フツーに稼げないから、本が出る。(本屋の雑誌コーナーはそういう風に見てるとすごく面白い。)
また手芸店や問屋が材料を売ろうと頑張ったおかげで、「初めてでも簡単○○セット」「すぐ作れる!自分だけの○○」的なキットは多数。これがある意味罠だよな。
手芸店等の企業努力のおかげで
「ハンドメイド」
=「なんかちょっと手間暇かけた物」
=「頑張れば私でも作れる物?」
と、なんとなーく敷居が下がって来てるタイミングに、「それが売れます!」と来たもんだ。じゃぁ私も!ってなるよね。うん。私もそう。
私が今作ろうと思ってるものは、多分、売れると思う。そして利益も出る、これは算段アリ。多分タイミング問題だから、しばらくは大丈夫だと思ってる。
だけど私は、ハンドメイド大好き!作れないと死んじゃう!これが生きがい!とは、口が裂けても言えないのよね。だって食えない(と思ってる)もん。これも作家になれない理由だな。
ハンドメイドお金大好き!作れお金ないと死んじゃう!←これだったら堂々言える。
てか酷い話、むしろ、ハンドでメイドせず、買った素材そのまま転売して利益出るならその方がラクだと思っちゃうもん。
けどそのまま売るんじゃ、既にそれを生業にしてる方には勝てないから、稼ぐ為のツールとしての、ひと手間=ハンドメイド、という位置づけ。私の場合。
ネーミングはとても素敵だと思う。
さて、ひと手間かけるハンドメイド品は。手間暇かけて高く売れるか?そんなことないしむしろ逆だと思ってる。価格崩壊は苛烈になるんじゃないかな。もうなってるのかな?
アマの真心販売に、プロは勝てない。
暇だしこれが好きだし一生懸命やったの。それを欲しいって言ってくれるだけで嬉しいの。原価?儲け?いえいえお代を頂けるだなんてそんな!嬉しいからお安くします、どうぞどうぞ!嬉しいから、ラッピングもキレイにね、メッセージカードもつけてね、是非是非末永く私の作ったこの子を、かわいがってくださいね!愛をこめて!
いやぁ、恐ろしい。なんでもこの側面があるね。
ただまぁ、その手のアマチュアさんは、芸術家なんだろうな。ある意味輝かしく見える。
例えば流しでギター弾く芸術家がいる。足を止めてくれる人がいるだけで、生きていけるんだろう。
私は流しだとして、足止めて聞きほれてくれたら、もちろん嬉しいと思う。泣けるかも知れない。死に際思い出すかも知れない。でも、ギターケースにお金も入れてくれよ!って思っちゃうんだよ。銭がゲバルトですみません。
昔だったらな、ハングリーな程良いもの作れる!と思えたろうが、育児してちゃそうもいかねぇし。
ハングリー?と言えばカップヌードル。シーフード派。
(アマ、って表現が誤解を招きがちなので補足だけれど、私は、それで食えてる人が、そのプロだと思ってる。クオリティじゃなく。歌だって、下手でも売れてる人はいる。歌唱力じゃない別の魅力があるからでしょう。素晴らしく美人でも売れない女優さんもいる。美人なだけじゃ足りないんでしょう。)
もちろん最終的に作りたい物は、ある意味芸術(採算度外視の自分が作りたいだけの物)になる。良い芸術を作るための日々の糧は必要。段階踏んで無駄を極力減らしてそこまで進みたい。
その階段含めて、三年って思ってんだよな。
(これ書いたのも、備忘)
技術も並み。素材も並み。タダで使えるのは頭だけ。
野菜売るのに、八百屋の隣に出店しないでしょ。
だから近隣に八百屋のない場所を模索中な昨今。
商品自体のデザインや組み合わせなんて、もう限界あるんだし。似たような物はどこにだってあるんだし、私はそっちにリソース割きたくない。(自分の個人利用したい物ならこだわるけどさ。)
いやはや、どこまで頭を回せるかにかかってるな、と思う。
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で、またこの手の本が売れちゃうんだろうな、と思う。